【必要?】 学歴は必要か、教育論を語る 【真面目】

教育

今日は真面目に私の教育論について語る。本気の人だけ読んでほしい。そして、是非意見してほしい。
先日、彼女に「男のくせに教育にめちゃくちゃ熱心だよね。」と言われた。そうかもしれない。教育論について熱く語れる人と知り合いたい。

 

学歴は興味領域の広さに比例する。

興味領域が広い人間に学歴がついてくるのか、
学歴を高く積み上げるにつれ興味領域が広がるのか。

これはさして問題ではない。
また、興味領域の広さが何に役立つのかといった議論をするつもりもない。

好きこそものの上手なれ、という言葉があるように興味を持つということは上達、習熟度の向上のために必要なことである。
今の世の中を見てもそうだ。
低学歴の専門職についている人間は、学生時代に「自分の興味があること、好きなこと」を仕事にしようとする。
学歴の高い人間は、総合的な知識を身に付けゼネラルに活躍できる人材になり、その中で自分ならではのスペシャルな分野を見つける。
東京大学に入学した生徒は、入学した学部はほぼ関係なく、初めの1年半は基礎科目、総合科目、主題科目の授業として幅広いリベラル・アーツを学習する。

東京大学第16代総長矢内原忠雄氏の言葉を引用しておきたい。

『東京大学内における教養学部の位置の重さは、単に全学生数の半分を包含するという、量的比重にだけあるのではない。東京大学の全学生が最初の2年間をここに学び、新しい大学精神の洗礼をここで受ける。ここは東京大学の予備門ではなく、東京大学そのものの一部である。しかも極めて重要な一部であって、ここで部分的専門的な知識の基礎である一般教養を身に付け、人間としてかたよらない知識を持ち、またどこまでも伸びていく真理探究の精神を植え付けなければならない。その精神こそ教養学部の生命なのである。』

 

東京大学がすべての教育に共通する規範だとは思わない。
しかし、人間としてかたよらない知識を持ち、真理探究の精神を植え付けなければならないと私も思う。
真ん中を歩くために、右も左も知っておく必要がある。そういうことだ。

一つ注意いただきたい。
私は決して学歴の低い人間や特定の業界を批判したいわけではない。
しかし、カエルの子供はカエルなのだ。
自分の子供に自分と同じ道を歩ませてやりたい、と胸を張って生きることができる人が一人でも多くいる社会こそ、これからの日本に求められる社会ではないだろうか。

 

 

文頭の話題に戻ろう。
興味領域が先であれ、学歴が先であれ、子供に興味を持たせるということが(私の)教育命題となる。
知育、知的好奇心を育てる。そのために必要なことは知識と体験の反復である。
必ずしも知識が先である必要はない。
言葉を覚えていない乳児、幼児の時に多くのことを体験させておくことも本人の原体験となり経験が血肉となる。
「三つ子の魂百まで」という言葉があるように幼少期の経験はその後の人格形成に大きな影響を与える。

もちろん親の愛情なくして子供はまっすぐ育たない。
愛情こそ子供にとっての一番の栄養であることは忘れてはならない。ただ、植物もそうだが肥料焼けしないように気を付けたい。
親のコンプレックスを解消するために子供を利用するのはやめよう。
子供を導くのは大人の役目だが、示すべき道が1つであってはならない。

標題にある学歴に関してだが、あるに越したことはない、というのが私の結論だ。
相田みつをも言っている

『金が人生のすべてではないが 有れば便利 ないと不便です

便利のほうがいいなぁ』

学歴と生涯年収が比例することを周知の事実であろう。
ただし、学歴では突出した富裕層になれない。
年収2千万円のサラリーマンより、年収2千万円で自営業をやっている人間の方が使える金が多いという事実もある。
所詮サラリーマンは何かの下請けなのだ。軌道に乗れば直接契約できる自営業者は強い。
しかし、自営業者には中々手に入れられないものがある、それはブランドだ。
どれほどの傑物、偉才であれ例えば三菱のブランドを超える起業を作れる人間はいな、、、あっ、いる。
・・・アメリカにはゴロゴロいた。それこそアメリカが世界最強である所以である。

 

私は自分の子供に英才教育をするつもりだ。
それは、真ん中を歩かせるためだ。
右でも左でもなく、自分の真ん中を歩かせるために、様々なことを体験させてやりたいと思う。

溢れるほどの愛情と共に

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